コレサワ15年史
ライブ・作品・出来事とともに振り返る、僕が彼女に出会ってからの記録です。
0. まえがき:ライブハウスで見届けた、一つの時代
2011年のライブハウス時代から現在まで。
これは、僕がコレサワと出会った2011年から現在までを振り返る記録です。 ライブ、作品、出来事を追いながら、特別な機会に撮った写真や動画、当時の記録、自分が実際に足を運んだ公演なども交えて、僕が見てきたコレサワの活動をまとめました。
そこに、コレサワ自身のデビュー前から現在までの活動や、これまでの出来事・エピソードも重ねています。
第1部:原点 ── 渋谷gee-ge.とインディーズの季節
高校時代の悔しさが、東京へ向かわせた
まずは少し時間を巻き戻したい。
高校時代、軽音楽部でYUIのカバーなどをしていた彼女は、同じ部内の女の子がオリジナル曲を作ったことに強い悔しさを感じた。それが「自分もなんかやんなきゃ!」と作曲へ踏み出すきっかけになった。
その後、オリジナル曲で『ストリートファイターズ』の「ストファイHジェネ祭り’09」に応募し、全国大会の舞台としてSHIBUYA-AXに立つことになる。
しかし、本人の後年のインタビューによれば、そこでの経験は決して華々しいものではなかった。ライブ経験のない自分だけが、周囲の出場者と比べて場数を踏んでいなかった。MCもできず、名前を言っても客席が静まり返る。賞も獲れなかった。
その悔しさが、「いつか大きいライブ会場でちゃんと楽しくライブしたい」「もっとしっかり歌手を目指そう」という決意につながっていった。
この高校時代のオーディションについては、後の部で改めて詳しく扱う。ここでは、大きな舞台で味わった悔しさが、上京とその後の音楽活動につながったという一点を押さえておきたい。
2011年4月26日──「閃光ライオット2011」への応募と「Fコード」
上京後の活動を追っていくと、僕が初めて彼女のライブを見る数ヶ月前にも重要な記録がある。
2011年4月26日、SCHOOL OF LOCK!の「閃光ライオット2011」再始動告知の中で、応募者のデモ音源が紹介された。その中に、当時18歳のシンガーソングライター是澤寿美の名前がある。番組内の「デモテープ先行オンエア」で、是澤寿美「Fコード」が放送されたのだ。
当時の番組では「東京都 18歳 シンガーソングライター!是澤寿美」として「Fコード」が実際にオンエアされ、校長・教頭からも声や楽曲についてコメントが寄せられている。まだ「コレサワ」という名前になる前の是澤寿美が、全国へ向けて自分の音源を届けた記録として非常に興味深い。
ここで重要なのは、これが「閃光ライオット2011本編への出演」ではなく、あくまで応募デモ音源が番組で紹介・放送された記録だということだ。日比谷野外大音楽堂で行われたファイナルステージへの出場記録とは明確に区別しておきたい。
なお、この時点で「閃光ライオット2011で落選した」と表現するのは正確ではない。2026年に本人がSCHOOL OF LOCK!で当時を振り返った際、応募した「Fコード」は一次または二次審査を通過していたものの、その後の審査日が学校のテストと重なったため、自ら参加を辞退したと語っている。
つまり、この挑戦は「敗退」ではなく、「途中まで進みながら、自分自身の判断で別の道を選んだ出来事」であった。
そして、この頃の彼女はまだ「大きなステージに立つ未来」を追いかけていた。
19歳のシンガーソングライターとの出会い
2011年9月26日、渋谷gee-ge.。この日の僕のお目当ては片平里菜だった。彼女は直前の「閃光ライオット2011」ファイナルステージで審査員特別賞を受賞したばかり。「今の勢いあるステージを絶対に生で観ておきたい!」と、その熱量に引き寄せられるように足を運んだ夜だった。
そしてそこで偶然にも、同じ閃光ライオット2011という舞台に挑戦していた19歳の是澤寿美のステージを初めて目撃することになる。あの「閃光ライオット」という一つの大きな渦が、見えない糸のように僕たちを同じライブハウスへと引き合わせていたのだ。
渋谷のビル4階にあるgee-ge.は、椅子が並ぶ小さなフロア。ステージと客席の距離が近く、終演後には演者と観客が普通に言葉を交わしている。「境界線の薄さ」が売りのような箱だった。
そして、ステージに立った彼女の印象は強烈だった。小柄な身体から圧倒的な歌声を放ち、直後にコテコテの大阪弁で笑いを取る19歳の姿に強く惹きつけられた夜だった。
歌い始めると、泣けるくらい真剣。空気が張り詰めるほど歌に入り込んでいるのに、曲が終わった瞬間にはコテコテの大阪弁で人懐っこく笑いを取る。曲は重いのに、MCはとことんゆるい。その振れ幅が、とにかく面白かった。
しかも、トークで客席の笑いが少ないと、「……って、すべったみたいやん!」と自分で即座にツッコミを入れていた記憶がある。歌では一切の妥協を見せないのに、MCでは自分から笑いに転換してしまう。その愛嬌とタフさは、今のコレサワにも続いているものだと思う。
大阪から東京へ。音楽を続けるための旅
コレサワは大阪府摂津市で育ち、高校卒業後、音楽をやるために東京へ上京した。ワタナベエンターテインメントカレッジ(WEC)のヴォーカルコースに通いながら、音楽活動を始めていく。
2015年の音楽ナタリーのインタビューでは、上京してから最初のライブについて「お客さんがほんとにポツポツポツと3人くらいしかいなかった」と振り返っている。夢見ていたものとは違う現実。それでも、そこで歌い続けるしかなかった。
上京したての彼女は、家に帰るよりも24時間営業のマクドナルドなどの飲食店にこもり、ノートを開いて歌詞やメロディを書いていたという。東京の片隅の喧騒の中で、まだ自分の居場所も決まっていなかった彼女が、自分だけの歌を必死に紡いでいた時期だった。
大阪から東京へ。大きなステージを夢見て上京した少女は、実際には、誰もいないように感じる小さなフロアで、たった数人の観客を前に歌うところから始まった。
手売りのCDと、徹底したDIY精神
この時代の活動を語るうえで欠かせないのが、手作りの音源と手売りの活動だ。
まだ「コレサワ」という名前が広く知られていなかった頃、是澤寿美は自主制作のCD-Rをライブ会場で販売していた。音源だけでなく、衣装まで自分で作る。限られた予算の中で、自分の歌を届けるために必要なものを自分で用意していく、徹底したDIYの時代だった。
当時のマネージャーに「次の曲が売れたら、新しいミシン買ってよ!」と冗談まじりに言っていた場面に、僕も居合わせたことがある。
手作りのCDを売り、自分で衣装を縫い、ライブに立つ。現在の大きなステージからは想像しにくいが、コレサワの原点には、こうした小さな積み重ねがあった。
この徹底したDIY精神は、後年のリリース記念イベント「カフェでしょ」などにも形を変えて受け継がれている。自分で衣装を展示したり、自分で考えたメニューを含めて空間全体を作り上げたりする姿を見ると、あの頃の姿勢が今も続いていることが分かる。
ライブハウスで生まれた距離感
ライブハウスでは、終演後に本人が物販席に立ってCDを手売りすることも珍しくない。
今のようにFCブースがあり、限定グッズが並び、スタッフが物販を運営するような環境とは違う。演者本人が物販に立ち、観客とその日のライブや音楽の話をする。小さなフロアだからこそ生まれる距離感があった。
僕にとって2011年9月26日のgee-ge.は、まさにその空気の中で是澤寿美を初めて見た場所だった。
2012年──「出れんの!?サマソニ!?」からSUMMER SONICへ
その翌年、大きな転機が訪れる。
2012年、「出れんの!?サマソニ!?」。1000組以上がエントリーしたオーディションを勝ち抜き、彼女はSUMMER SONIC 2012への出演を果たした。
しかも、当時通っていたWECの公式Twitterにも、是澤寿美が「出れんの!?サマソニ!?」のエントリーから本番出演を決めたことを知らせる応援投稿が残っている。そこでは、アーティスト名を「コレサワ」として出演することも告知されていた。
下はWECの公式Twitterに掲載された「出れんの!?サマソニ!?」本番出演決定の告知
2012年8月18日、会場は幕張メッセ。このSUMMER SONIC 2012のステージには、僕も実際に足を運んでいる。まだ「れ子ちゃん」が現在の形で存在する前。アコースティックギターを抱えた彼女が、無料スペースとはいえフェスのステージで歌っていた。ひぐちけいがサポートで入っていたのは心強かったと思う。
当日は暑くてステージへの日差しも凄かったが、その中で全力で歌う姿はとても輝いていました!
2011年9月26日に僕が渋谷gee-ge.で初めて見た19歳の彼女と、2012年8月18日に幕張メッセのサマソニで見た彼女。その間は、わずか11か月ほどしかない。
小さなライブハウスで数人の観客を前に歌っていたシンガーソングライターが、翌年にはSUMMER SONICのステージに立っている。
このサマソニ出演は、後の初ワンマンへ向かっていく流れを考えるうえでも重要な出来事だったと思う。大きなステージに立つ経験を重ね、音楽活動が少しずつ「夢」から「現実」へ変わっていく時期だった。
2013年
「出れんの!?サマソニ!?」への再挑戦と
幻に終わったユニット名
2012年のSUMMER SONIC出演を果たした翌年の2013年、彼女は再び「出れんの!?サマソニ!?」へのエントリーを試みている。しかし、ここで一つの壁にぶつかった。「前年に出演していたため、同じ名義では2回目の出演ができない」というルールの存在である。
そこで彼女は、別のユニット名を作って再挑戦するという手段に出た。現在、この時期の初期活動資料として確認されているのが、このサマソニ再挑戦のために作った幻のユニット「iとθ(アイトシータ)」である。2013年5月24日の「出れんの!?サマソニ2013」応募に関する本人Twitter投稿で「iとθ」という表記が登場し、6月5日には「iとθ」「ソーアイムリィ」「恋コガレ」に関する投稿や動画資料が残っている。その後、6月6日にサマソニ出演不可に関する投稿があり、6月7日には「ユニットでもだめだめでした。笑」と語られている。
仲間達とのユニットを楽しむ
2013年6月9日、下北沢MOSAiCで開催された藤澤有沙さんが企画・主催するライブイベント「藤ロックフェスVol.2」では、「澤’s(是澤寿美×藤澤有沙)」という名前で出演していました。これは藤澤有沙さんの主催イベントに是澤寿美も出演することになり、二人の名字に共通する「澤」を使って、その日だけの名前を付けた、当時のライブハウスらしいお遊び名義での出演。
是澤寿美とひぐちけいは、2人で何度もライブを行っている。現在もひぐちけいはコレサワの親友でありサポートギターを務めているが、こちらは「ユニット」というより、あくまで是澤寿美/コレサワのライブをひぐちけいがギターで支える関係なので、特にユニット名は付いていない。それとは対照的に、「澤’s」はその日限定の特別な遊び心だったのだ。
ここで特筆すべき小ネタとして、二人の間にある「YUI」という共通項が挙げられる。当時の資料によれば、藤澤有沙さんはYUIのバックバンドでキーボードを弾いていた人物として紹介されている。一方の是澤寿美も、初期からYUIに強い思い入れがあり、高校時代にはカバーを披露し、YUIになりきっていた時期があるほどの熱烈なYUI好きだ。YUIがきっかけで知り合った訳では無いと思うが、ここにも面白い共通のルーツが存在している。
このように、2013年前半はサマソニへの再挑戦や、当時の仲間たちとのお遊び名義など、様々な企画が混在していた。名前の変遷を資料から整理すると、2012年夏のSUMMER SONICでは「コレサワ」という名前が使われていた一方、同年10月のインディーズCDや2013年5月16日の「お誕生日会」では「是澤寿美」名義が使われている。そして2013年7月7日、池袋の路上ライブを境に、正式に「コレサワ」へと名前が切り替わっていく。
名前と顔のグラデーション ── 「是澤寿美」から「コレサワ」へ
| 時期・出来事 | 名義 | メディア上の顔・ビジュアル |
|---|---|---|
| 2011年4月26日 閃光ライオット応募(デモ音源放送) |
是澤寿美 | 素顔 |
| 2011年9月26日 渋谷gee-ge.ライブ(初遭遇) |
是澤寿美 | 素顔 |
| 2012年8月18日 SUMMER SONIC 2012 出演 |
コレサワ (WEC公式Twitter等での告知) |
素顔 (アコギ弾き語り) |
| 2012年10月10日 インディーズCD『コレサワ』リリース |
是澤寿美 (※アルバムタイトルは『コレサワ』) |
素顔 (CDジャケット等) |
| 2013年2月8日 インディーズ版「笑えよ乙女」発売日 |
是澤寿美 | 素顔 |
| 2013年5月16日 初ワンマンライブ『お誕生日会』 |
是澤寿美 | 素顔 (※ウチボリ氏による初グッズ制作) |
| 2013年7月7日 路上ライブ |
是澤寿美 / コレサワ 改名を発表! |
素顔 |
| 2013年7月24日 渋谷gee-ge.ライブ等 |
コレサワ (以降、アーティスト名として定着) |
素顔 (※れ子ちゃん構想の胎動期) |
| 2015年4月29日 全国流通盤『君のバンド』リリース |
コレサワ | メディア顔出し非公開 (れ子ちゃん本格運用開始) |
2013年7月7日 ── 池袋の路上ライブでの改名発表
2013年7月7日の路上ライブで、「コレサワ」への改名を発表しました。
この日の発表については、本人のTwitterに「コレサワにかえました!これからもよろしくお願いします。」という投稿が残っており、さらに「これからもみんなから『コレちゃん』って呼ばれたいです。」とも記しています。当時のブログでも、翌7月8日に改名を報告していました。
5月16日の初ワンマン『お誕生日会』までは、確実に「是澤寿美」名義で活動していた。それが7月7日の路上ライブで「コレサワ」への改名を発表し、その後7月24日のライブ記録からは「コレサワ」表記が明確になっていく。「是澤寿美」から「コレサワ」へ――この時期を境に、現在につながる名前が定着していった。
そして15年後──今度は「先生」として、閃光ライオットの会場へ
ここまでを振り返ったうえで、2026年の出来事を見ると、かなり胸に迫るものがある。
2026年8月6日。 現在のコレサワは、TOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」の「コレサワLOCKS!」で、“歌う保健室の講師”として生徒たちの前に立っている。
そしてこの日の放送では、「マイナビ閃光ライオット2026」ファイナルステージの会場から、10代のファイナリストたちのライブを見届けた感想を語っている。
そこで彼女が思い出していたのは、2011年に自分も閃光ライオットへ応募し、そのときSCHOOL OF LOCK!で「Fコード」を流してもらったこと、当時とーやま元校長から「売れる」と言われたこと、そして現在、今度は自分が「先生」として10代の出演者たちを見ていることだった。
2011年:18歳の是澤寿美。「Fコード」がSCHOOL OF LOCK!で放送される。
2026年:15年後、コレサワはSCHOOL OF LOCK!の「歌う保健室の講師」として、10代アーティストたちのステージを見届ける。
応募する側だった少女が、今度は10代の音楽を見守る側へ。場所は同じ「SCHOOL OF LOCK!」の世界。これは15年という時間を一本の線でつないで見ると、とても象徴的な出来事だ。
しかも本人はファイナルステージを見ながら、10代の頃の自分を重ねていた。
初めて人前でライブをしたときの足の震え。声が震える感覚。歌詞を忘れてしまうこと。かつて自分が「恥ずかしい」と思っていたものを、15年後の彼女は「本当に尊い瞬間だった」と振り返っている。
そして最後には、自分が応募した「Fコード」を大人になってレコーディングした音源として流している。
2011年には、まだ18歳だった是澤寿美が「Fコード」を送り、番組でその歌を流してもらった。
2026年には、その本人がコレサワ先生として10代の音楽を聴き、その日の放送で、15年前に自分が送った「Fコード」を流す。
これは単なる「懐かしい話」ではない。
かつて応募する側だった少女が、15年後には次の世代を迎える側になったということだ。
2011年9月26日、渋谷gee-ge.で僕が初めて見た19歳の是澤寿美は、まだ小さなライブハウスのステージにいた。
そこから、手作りのCDを売り、歌を書き、衣装を縫い、「出れんの!?サマソニ!?」を勝ち抜き、SUMMER SONICのステージへ進んだ。
その先には初ワンマン、インディーズ活動、れ子ちゃんの誕生、メジャーデビュー、そして日本武道館が待っていた。
けれど、その長い15年を振り返ると、原点にあるのは案外シンプルなものなのかもしれない。
小さなライブハウスで、自分の歌を誰かに届ける。
その積み重ねが、今につながっている。
第2部:ライブハウス黄金期 ── 下北沢や渋谷の特異点と密室の熱気
2013年:初ワンマン『お誕生日会』
ライブハウスでの活動を重ねてきたコレサワにとって、大きな転機となったのが2013年5月16日、渋谷gee-ge.で開催された初ワンマンライブ『お誕生日会』だった。
2011年に僕が初めて彼女を見た頃は、まだ小さなライブハウスのステージに立っていた。それから約1年半。対バンライブを重ね、自分の歌を少しずつ届けてきた彼女が、この日は自分自身の名前でワンマンライブを開いた。
この公演は、コレサワのライブ活動を振り返る上でも重要な節目だ。現在のライブからは想像しにくいが、当時のチケットは手売りの「ご招待状」のような形をしていた。もちろん有料なのだが、そんな遊び心も含めて、まだインディーズのライブハウス文化の中にいた時代らしい一枚だった。

そして、この『お誕生日会』は、後にコレサワの顔となっていく「れこちゃん」が初めて登場した公演でもある。まだ現在の「れ子ちゃん」とは違う初期の姿だったが、音楽だけでなく、キャラクターやビジュアルを含めてコレサワという世界観が形になり始めた、最初期の重要な一日だった。
この頃のコレサワは、まだ「コレサワ」というブランドが完成していたわけではない。ライブハウスで歌い、CDを売り、観客と直接言葉を交わす。その一つひとつの積み重ねの中から、後のコレサワにつながる表現が少しずつ生まれていった。
出演者と観客の境界がなかった時代
2014年〜2017年頃は、「下北沢」のライブハウスが、音楽を愛する若者たちにとって特別な場所だった。
コンクリートの急な階段を下り、重い防音扉を開ける。そこにはアルコールの匂いと熱気に満ちた別世界が広がっていた。水曜はBASEMENT BAR、木曜はSHELTER、金曜はMOSAiC、土曜はERA、日曜はCLUB Que……。毎晩、知っている誰かがギターを弾いていた。
これらのライブハウスは、それぞれ独立した演奏会場でありながら、当時の下北沢という街の中では、一つの強固なコミュニティ、言うなれば独自の「生態系」を形成していた。
当時のライブハウス文化は、現在の大規模なコンサートとは全く違う濃密な日常を持っていた。出演者が自分の出番を終えても帰ることなく、他の出演者のライブをフロアの最後列で最初から最後まで見届けることも珍しくなかった。
終演後にはそのままフロアに残り、あるいはバーカウンターに寄りかかって音楽談義が始まる。対バン同士が本気でお互いを応援し、刺激を受け合っていた。物販でも普通に話し込める。出演者と観客の境界線は、今よりずっと曖昧だった。
その日たまたま居合わせた常連客と意気投合し、そのまま別のライブハウスへ「ハシゴ」することもあった。そんな距離の近さと連帯感こそが、当時の新しい音楽や、世代を超えた仲間たちを生み出していたのだと思う。
2014〜2017年、女性SSWシーンの交差点
当時の対バン、つまり共演者のラインナップを今振り返ると、鳥肌が立つ。
コレサワ、あいみょん、ヒグチアイ、井上苑子、岩﨑愛……。
後に大きな存在となっていく彼女たちが、当時は地下のライブハウスの平日のタイムテーブルに普通に並び、同じステージで歌っていた。
もちろん、その時点で誰もが将来の成功を約束されていたわけではない。「この人は何年後かに日本武道館に立つ」と、当時から分かっていたわけでもない。
けれど、現場に通い続けてきた僕には、後から振り返って「あの時期、間違いなく何かが起きていた」と思える時間がある。
それが2014年〜2017年頃の下北沢だった。
まだ世の中に広く知られていなかった才能たちが、見果てぬ夢を抱えて毎晩同じ地下へ集まり、お互いのライブを見て、笑い、語り合い、刺激を受けていた。
振り返れば、2014〜2017年の下北沢は、日本の女性シンガーソングライター史における一つの「特異点」だったのではないだろうか。
深夜4人の誕生日ケーキとハンドタオル
そんな2014〜2017年頃の空気を象徴する夜として、コレサワの誕生日前日、2016年5月18日に新宿red clothで行われたライブの日のことも忘れられない。
アウェーな深夜イベントで、コレサワ目当ての客は僕一人。出番は22時半を過ぎた深い時間だった。
キャパ150人のフロアにはまだ観客も少なく、なぜ彼女がこのブッキングに入っているのか不思議に思うほど、普段とは少し違った対バン陣だった。それでも当時の僕は、出演者や関係者と気さくに言葉を交わしながら、穏やかな時間を過ごしていた。
そして、いよいよ誕生日まで1時間を切った深夜。当時のマネージャーか店長が買ってきた小さな誕生日ケーキを、僕を含むたった4人で囲み、「ハッピーバースデー」を歌って祝った。
薄暗い地下のフロアで灯されたロウソクの光。今ではなかなか想像できないほど出演者とファンの距離が近かった、インディーズ時代ならではの夜だった。
当時は、ライブ会場で販売されていたグッズを複数購入し、何度もサインをしてもらうこともできた。僕がインディーズ時代にサインをしてもらっていたのは、れ子ちゃんの顔がデザインされた、しっかりした生地の小さなハンドタオルだった。
現在のガチャなどで手に入る薄い生地の復刻版とは異なり、当時のものは厚手のしっかりした生地だった。

あの頃は、ステージと客席の間だけでなく、ライブが終わった後にも、こうした小さな出来事が自然に生まれていた。
たった4人で囲んだ誕生日ケーキ。今振り返れば、その光景そのものが、当時のライブハウスの距離感を物語っているように思う。
あの夜、たった4人でケーキを囲んでいたコレサワが、その後、日本武道館のステージに立つことになる。もちろん、その未来を当時具体的に想像していた人は多くなかっただろう。
それでも彼女は、その小さなフロアに向けて、真っ直ぐに自分の歌を届けていていた。
文化史的クロスロード:2016年12月28日「Beat Happening!」
もう一つ、当時のライブハウス文化を象徴する夜がある。
2016年12月28日、下北沢BASEMENT BARで開催された「Beat Happening!」。この日は、あいみょんとコレサワ、そして僕が今もファンである、みるきーうぇい(伊集院香織)も対バンとして出演していた。
今から考えれば非常に豪華な組み合わせだが、当時は彼女たちが同じ地下のライブハウスに出演することは、決して特別なことではなかった。
フロアにいた観客は10数人ほど。その多くは対バン相手の出演者で、純粋な観客は決して多くなかった。
しかし、人が少なかったからこそ、出演者自身が客席に降りて他のアーティストの演奏をフロアで一緒に観たり、終演後には自ら物販席に立って手売りをしたりする姿があった。
演者と観客の境界がほとんどない。そんな当時のライブハウスならではの空気が、そこにはあった。
数年後には日本中の大きなステージへ進んでいくことになる表現者たちが、まだ「何者になるのか分からない」時期に、同じ地下の空間で歌い、話し、写真を撮っていた。
振り返れば、この何気ない光景こそが、2010年代のライブハウス文化を記録する貴重な一場面だったのだと思う。
終演後の薄暗いフロアやバーカウンターで、数年後には大きなステージへと進むことになる表現者たちが、ごく普通に同じ夜を過ごし、言葉を交わしていた。
今になって振り返れば、あの熱気とヒリヒリした空気感こそが、後の女性シンガーソングライターシーンにつながっていった貴重な時間だった。
そしてコレサワにとっても、この時代はまだ「大きな会場を埋めるアーティスト」になる前の時間だった。小さなライブハウスで歌い、観客と直接向き合い、対バンの仲間たちと刺激を受け合う。
その積み重ねの先に、メジャーデビューがあり、そのさらに先に日本武道館があった。
第2部で描きたいのは、まさにその「まだ何者でもなかった時代」の熱気である。
第3部:表現者としての進化
コレサワの15年を歌詞から見ると、初期の「僕」を使った表現から、現在の「あたし」へと、一人称とともに自分自身の感情をより直接的に描くスタイルへ変化していったことが分かる。
恋愛や嫉妬、寂しさといった身近な感情から、自己肯定、家族、友人、日常の違和感まで、活動を重ねるほど歌の世界は広がった。そして、自分の弱さや面倒くささまで隠さず、それをポップソングとして聴く人の物語へ変換する力が、コレサワ独自の表現として磨かれていった。
「僕」から「あたし」へ。 それは単なる一人称の変化ではなく、「誰かのように歌う」ことから「自分自身の言葉で歌う」ことへ進んだ15年間の変化でもある。
作詞世界の詳細研究
▶ コレサワ作詞世界研究
152曲を中心に、一人称・テーマ・表現の変化を詳しく分析した専用ページです。
第4部:コレサワというブランド ── 「れ子ちゃん」という発明
顔を出さないという表現方法
コレサワというアーティストを語るとき、「顔を出さない」というスタイルは欠かすことのできない特徴の一つだ。
音楽業界の大人たちから「君のような顔では売れない」「テレビに出るならビジュアルを変えないと厳しい」といった言葉を投げかけられ、深く傷ついた経験。それでも「それなら顔を出さずに音楽だけで勝負してやる」という方向へ進んでいった彼女には、もともと写真を撮られることが苦手という一面もあったという。
ただし、コレサワの「顔を出さない」は、一般的なイメージとは少し違っている。
ライブでは素顔のままステージに立ち、テレビや雑誌などのメディアでは顔を隠す。つまり、音楽を直接届ける現場では素顔を見せ、広く顔が拡散されるメディアでは別の姿を使うという、独特の使い分けなのである。
普通の生活を守るための選択
本人は顔を隠して活動する理由について、すっぴんでコンビニに行けなくなったり、パジャマのままレンタルショップへCDを借りに行けなくなったりするのは嫌だった、といった趣旨の話もしている。
「スーパーへ行きたい」「コンビニへ行きたい」「パジャマで歩きたい」。そんな、ごく普通の日常を守りたかった。
これは「ミステリアスなアーティストを演出する」という発想とは少し違う。むしろ、できるだけ普通の生活を続けながら、自分の音楽だけはきちんと届けたい。そのための方法として「顔を隠す」という選択をした、と考えるほうがコレサワらしい。
実際、ライブハウスやフェスでは素顔で観客と向き合い、物販でも直接ファンと接していた。僕自身も2011年から約15年間、その距離感の変化を現場で見てきた。
れ子ちゃん誕生の背景
そんな活動の中で、顔を隠すための「別の顔」として大きな役割を果たすことになるのが、ウチボリシンペ氏によって描かれたキャラクターだった。
二人の出会いは、2013年2月8日以降から5月16日以前のどこかにあったと考えられる。ウチボリ氏は、当時のコレサワ(是澤寿美)と対バンしていた男性アーティストの友人としてライブを訪れ、客席で彼女のステージを見たという。
そして終演後の物販で、彼女の音源『笑えよ乙女』を購入。自身が描いた絵を見せたことから交流が始まったとされている。

そして2013年5月16日、渋谷gee-ge.で行われた初ワンマンライブ「お誕生日会」。ここで、ウチボリ氏が描いた初期の「れこちゃん」が登場する。
まだ現在の「れ子ちゃん」とは姿も表記も違う。けれど、この時点ですでに「コレサワの顔を別のキャラクターで表現する」という現在につながる発想が形になり始めていた。

その後、2013年7月25日、渋谷Milkywayで行われたヒグチアイ×是澤寿美ツーマン「ともだちがほしかったかいじゅうとくらげ」のフライヤーにも「れ子ちゃん」が登場する。

「れ子ちゃん」の前にあったもの ── 紙製の「レコ面」
ただ、現在のような立体的な被り物が、最初から存在していたわけではない。
その過渡期に使われていたのが、紙製の「レコ面」だった。
当時は「れこちゃん」「レコー面」「レコ面」など、呼び方にも揺れがある。2015年頃の本人のブログでは、実際に「レコ面」という呼び方が使われている。
現在の「れ子ちゃん」を知っている人からすると、紙に描かれた顔を持って顔を隠すという初期のスタイルは、少し意外に感じるかもしれない。しかし、この「レコ面」は、コレサワが顔を隠して活動するようになっていく過程を知るうえで、とても重要な存在だった。
そして、この「レコ面」が実際にファンとの交流にも使われていたことを示す、興味深い記録が残っている。
2015年4月16日、渋谷LUSHで行われたコレサワ3ヶ月連続自主企画「あたしのCDが並ぶ一週間」Vol.3では、当時の本人ブログで、予約した来場者を対象に「コレサワとレコ面でチェキ撮影」ができることが告知されていた。
つまりレコ面は、単に顔を隠すための道具だっただけではない。コレサワとファンが一緒に写真に収まるための、当時ならではのライブ現場のアイテムにもなっていたのである。

四角い箱から、立体的な「れ子ちゃん」へ
紙製の「レコ面」と並行するように、インディーズ初期には、さらにユニークな演出も登場していた。
ワンマンショー「コレシアター02」のオープニングでは、四角い箱にれ子ちゃんが描かれた特製の箱を頭から被り、最初の1曲だけその姿で登場する演出があった。
今のような立体的な被り物ではない。だからこそ、初めて見た側からすると「これは一体何なんだ?」という驚きもあった。被り物をしたままギターを弾くのか、それともずっとこの姿なのか――そんなことを考えながらステージを見守ったのも、あの頃のライブならではの思い出だ。


こうして振り返ると、「顔を隠す」という一つの方法が、紙の面、フライヤーのキャラクター、箱型の演出、そして現在の立体的な被り物へと少しずつ姿を変えていったことが分かる。
「顔を隠す道具」から「コレサワの顔」へ
やがて「れこちゃん」は「れ子ちゃん」という名前に定着し、単なる顔隠しの道具ではなく、コレサワそのものを象徴するキャラクターへと成長していった。
ぬいぐるみ、キーホルダー、文具、LINEスタンプなど、グッズとしても展開され、音楽を知らない人にも「このクマを見ればコレサワだ」と分かる存在になっていく。
ここが、コレサワの面白いところだと思う。
最初は「顔を見せたくない」という、かなり個人的な事情から始まったはずのものが、いつの間にかアーティストを象徴するブランドへと変わっていった。
「顔を隠すためのキャラクター」が、逆に「コレサワを世の中に知らせる顔」になったのである。
海外公演をきっかけに生まれた、顔を隠すための新しい仮面
「顔を出さない」というコレサワのスタイルには、もう一つの形がある。2023年の香港でのイベント出演をきっかけに登場した、熊の仮面だ。
海外では日本とは異なり、ライブ中の撮影が認められるケースがある。本人は海外公演で撮影されることへの対策として仮面を着用したことを説明している。
これは、初期の「レコ面」とは少し意味が違う。レコ面が「顔を隠して活動する」という初期のスタイルから生まれたものだったのに対し、この仮面は、海外のライブ文化や撮影環境に合わせて新たに生まれたものだった。
その後、この仮面は海外公演だけでなく、2023年12月5日の「きみとデート vol.1」で撮影OKとなった1曲や、2024年の東京国際ミュージック・マーケット(TIMM)ショーケースライブなど、限られた特別なステージでも使用されている。

「れ子ちゃん」という発明
こうして見ると、「れ子ちゃん」は最初から完成されたキャラクターだったわけではない。
素顔で歌っていた是澤寿美の時代に、顔を隠す必要が生まれ、紙製の「レコ面」が登場する。そこから「れこちゃん」というキャラクターが生まれ、フライヤーやグッズ、ライブ演出へと広がり、やがて現在の立体的な「れ子ちゃん」へと進化していった。
そして、その存在は単に「顔を隠す」という役割を超えていく。
歌詞、音楽、ライブ、グッズ、メディア出演。そのすべてをつなぐ共通のビジュアルとして、「れ子ちゃん」はコレサワというアーティストの世界観そのものになった。
「顔を出さない」という制約を、隠すだけで終わらせなかった。
むしろ、その制約を逆手に取って、一目でコレサワだと分かる強烈な個性へと変えてしまった。
それこそが、「れ子ちゃん」という発明だったのだと思う。
COLUMN:れ子ちゃん誕生前夜 ── 記録から紐解く「出会い」の検証
ウチボリシンペ氏との出会いは、いつだったのか。
現時点で確認できる資料からは、二人が出会った正確な日付までは特定できない。ただし、いくつかの条件を重ねることで、その時期はかなり絞ることができる。
ウチボリ氏がコレサワのライブを訪れ、終演後に『笑えよ乙女』を購入したという後年の証言がある。そして『笑えよ乙女』の発売日は2013年2月8日。その一方で、2013年5月16日の初ワンマン「お誕生日会」では、すでにウチボリ氏によるグッズや初期の「れこちゃん」が登場している。
そのため、現在確認できる資料からは、二人の出会いは2013年2月8日以降から5月16日以前のどこかであった可能性が高い。
さらに本人の後年の証言には、「そのときに“笑えよ乙女”のCDをウチボリさんが買ってくれたのを覚えてます。だから、“笑えよ乙女”を歌ってたんじゃないかな。」という記述もある。
候補となる公演を調べると、2013年3月17日の渋谷La.mama公演では、確認できたセットリストに『笑えよ乙女』が含まれていない。一方、4月には複数のライブがあり、男性アーティストとの接点という条件を満たす可能性のある公演も残っている。
ただし、セットリストが確認できていない公演について、「この日に出会った」と断定することはできない。
現時点では、確定している出来事と、資料から導き出せる候補を分けて考える必要がある。れ子ちゃんの誕生は、2013年春のライブハウスという小さな現場から始まった――そこまではかなり明確に見えてきている。
第5部:全国へ広がった15年 ── 変わる景色と変わらない距離感
客席から見えたファン層の変化
この頃から、客席の景色も劇的に変化していく。現場で彼女を見守り続けてきた者にとって、その客層の移り変わりは、時代の変化そのものだった。
- 【2012年当時】フロアを見渡せば「毎回顔を合わせるおじさんのファン」が数人ぽつんと座っているだけの、どこか殺風景でひたむきな空間だった。
- 【2015年頃】女性限定ライブ「シティーガールの休日」の開催などを経て、会場には同世代の女の子の姿が少しずつ増え始めた。
- 【2017年】メジャーデビューを飾り、『たばこ』がSNSを起点に大きく広がると、ライブハウスの扉を開けたときの景色も一変した。そこには、いつの間にか「見渡す限り知らない若い女の子ばかり」という光景が広がっていた。
- 【現在】日本武道館やホールツアーを経て、ファン層はさらに広がった。今では親子連れでライブに足を運ぶ人たちの姿も珍しくない。
この客層の変化は、彼女の歌詞の変化ともどこかリンクしていると僕は考えている。是澤寿美時代に多用していた「僕」という一人称は、やがて等身大の「あたし」を描く表現へと移行した。そして歌詞の中には、「スーパー」「洗濯物」「お弁当」「インドカレー」といった言葉だけでなく、「元カレ」「LINE」「家」、さらには最終電車や見送りといった上京や日常のエピソードが、より身近なものとして血肉化されていった。
2017年:チェキ会ループの夜と、歴史調査で判明した事実
2017年3月12日、池袋Hoteyes。里咲りさちゃんとのツーマンで開催された「私たちのたくらみ」では、コレサワでは珍しくチェキ会が行われた。何枚も券を買い足し、4人だけで撮影列をぐるぐるとループし続けた夜だった。
僕は長年、この日のチェキ会が自分にとって最初で最後だと思い込んでいた。しかし、今回の調査で、それ以前の2015年にも「レコ面」を使ったチェキ撮影の機会があったことが判明した。
過去の資料を掘り起こしたところ、実はこれより前の2015年4月16日、渋谷LUSHで行われたコレサワ3ヶ月連続自主企画「あたしのCDが並ぶ一週間」において、「コレサワとレコ面でチェキ撮影」という予約特典が明確に告知されていたことが、当時の本人ブログ(2015年4月9日付)から分かったのだ。
人間の記憶とは曖昧なもので、「最初で最後だった」という僕の思い込みは見事に覆された。しかし、こうして「レコ面」を使った別のチェキ撮影の機会が存在していたことが後から分かるのも、過去の資料と記憶を突き合わせて歴史を編纂する醍醐味であり、とても面白い発見だった。
コレンズの誕生と会場規模の拡大
ファン層が爆発的に広がり始めたメジャーデビュー後。チケットもライブハウスの取り置きや手売りから、プレイガイド先行へと変わっていく。2018年にオフィシャルファンクラブ「コレパーク」が発足し、コミュニティが大きく拡大していく中で、ファンの総称としての「コレンズ」という言葉が自然と定着していった。

それ以前には、現在のような統一されたファンの呼称はなかった。ライブハウスで顔を知っている程度だった関係が、全国のファンコミュニティへと広がっていったのだ。
客層が若い女の子を中心に大きく変わるのと歩調を合わせるように、彼女が立つステージも目まぐるしいスピードで大きくなっていった。
これは単なる会場規模の拡大ではない。ライブハウスという場所が、一人の才能を育て上げ、次なる高みへと送り出す「階段」として機能していたことを示す、一つの軌跡と言えると僕は考えている。
特別外伝:ゆるキャラたちと結成した異色のバンド「コレちゃんズ」
コレサワの15年の歩みを語る上で、忘れてはならないユニークなトピックがある。それが、彼女がリーダーを務めた“ゆるキャラバンド”「コレちゃんズ」の結成だ。
「地域活性化」と女性シンガーソングライターたちの系譜に連なる表現者として、「日本を元気に!」をテーマに、各地の人気ご当地キャラクターたちを集めて結成されたこのスペシャルバンドで、コレサワはボーカル(リーダー)を担当した。
メンバーの陣容も本格的で、ギターにふっかちゃん(埼玉県深谷市)、ベースにしんじょう君(高知県須崎市)、キーボードにうなりくん(千葉県成田市)、そしてドラムにさのまる(栃木県佐野市)という、日本を代表するそうそうたる顔ぶれが名を連ねた。

~もっとさのまるかじり~『死ぬこと以外かすり傷』
コレちゃんズ
栃木県佐野市役所 2018年2月25日
行ってきました!
結成の経緯として、2017年10月の結成記者会見を経て、代表曲である「死ぬこと以外かすり傷」のコレちゃんズver.のミュージックビデオが公開されると、そのシュールかつ本気度の高い音楽活動は大きな話題を呼んだ。
地域との関わりも深く、各地のイベントへの出演に加え、2018年1月には、メンバーであるうなりくんの出身地である成田市の成人式にも登場し、新成人たちを盛大に祝福した。
シリアスな自省や生活の歌を歌う一方で、こうした斜め上を行くエンタメを全力でやり遂げてしまうところもまた、コレちゃんズを率いて愛されるコレサワらしさを象徴する、大きな魅力の一つである。
2019年:「あっちゅーまやねん、人生。」
異色のバンド「originals」
2019年、コレサワはサガミオリジナル発売20周年記念プロジェクトのスペシャルバンド「originals」にボーカルとして参加した。メンバーはコレサワ(Vo.)、ROLLY(Gt.)、ウエノコウジ(Ba.)、加藤茶(Dr.)。作詞・作曲は川谷絵音。26歳のコレサワが、ロック界の大先輩たちと組んだ異色のプロジェクトだった。
この企画で語られた「20歳の思い出」は、コレサワの15年を振り返るうえでも特別な意味を持っている。20歳の頃、上京して約2年。本人によれば、自分のことをあまり好きではなかった時期で、当時の記憶もあまり残っていないという。
そんな時に、親とおじいちゃんから20歳のお祝いをもらい、そのお祝いで手に入れたのが、現在もずっと使い続けているギターだった。
そして、そのギターを手にしたことで、「このギターと一緒に、これから音楽を頑張るぞ」と決意した。20歳の苦悩の時期に手にした一本のギターが、音楽を続けていく覚悟と結びついていたのである。
それから6年。26歳になったコレサワは、そのギターを手に「originals」のボーカルとして歌った。20歳からの6年間を「体感としては2年くらい」と振り返り、「20代はあっちゅう間」と感じた彼女は、新成人に向けて、自分の好きなことを貫いてほしいというメッセージも語っている。
20歳で手にしたギターとともに音楽を頑張ると決めた少女が、6年後にはROLLY、ウエノコウジ、加藤茶と同じプロジェクトで歌っている。
「あっちゅーまやねん、人生。」というタイトルそのものが、コレサワ自身の20代を象徴しているようにも見える。
サガミオリジナル発売20周年記念プロジェクトソング
規模が変わっても変わらない距離感
時代とともに、音楽を届ける環境も大きく変化した。コロナ禍を経て、SNSや動画文化、配信ライブが当たり前のものとなり、かつてのように終演後の物販で肩を寄せ合って語り合うような物理的な距離感は、少しずつ形を変えていった。もちろん、日本武道館やホールツアーのような大規模公演では、終演後に一人ひとりと交流することは現実的に難しい。それでも彼女は、規模に応じた形でファンとの結びつきを保とうと努力し続けている。
世界が大きく揺れ動いた時期を経て、彼女は改めて強く実感したという。「やっぱり、ライブが一番好きだ」と。画面越しではなく、目の前にファンがいて、生音と歌声がぶつかり合うライブハウスの空間こそが自分の原点なのだと、彼女は確信している。
Junzy自身の病気療養とコロナ禍によってライブやイベント等に一切足を運べなかった休止期間(2019〜2022)を経て、2024年に超ときめき♡宣伝部への提供曲『最上級にかわいいの!』で第66回 輝く!日本レコード大賞「作詩賞」を受賞するという偉業を成し遂げても、彼女の根っこにあるライブハウスへの愛とひたむきさは1ミリも変わっていない。そしてその活動の幅は、音楽シーンの枠すらも飛び越えていく。
ギターと共に進化した音楽表現
そんな彼女の楽曲制作の裏側を長年支えているのが、自宅やスタジオでの相棒であるヤマハ(YAMAHA)のアコースティックギターだ。また、ライブステージにおいて彼女の歌をそばで支え続けているのが、通称ハミーちゃんと呼ばれるGibsonのハミングバードである。
幼少期からのピアノの素養から楽曲に広がりを生むピアノの導入や、DTM(Logic)による緻密な編曲など、多彩なアプローチで音楽性を進化させている。
そしてバンドサウンドを牽引するのが盟友・ひぐちけいの存在だ(※詳細は第6部参照)。
一方、バンドサウンドを支えるエレキギターには、ドッグイヤー型ピックアップを搭載したGibsonの「ES-330」に加え、2025年末頃には鮮烈な存在感を放つピンクカラーのビンテージ・エレキギターが新たな相棒として加わった。ライブのMCで盟友ひぐちけいが「これ、めっちゃ高かったんやで!」と驚きを語り、客席の笑いを誘っていたあのギターである。
アコギの温もりから、お馴染みのES-330、そして新加入のピンクのギターへと持ち替えながら、彼女のステージ表現はさらに大きく進化し続けている。


彼女の愛機への思い余って、僕は今年(2026年)の1月、Zepp Sapporo公演に合わせて「ハミーちゃん」の完全レプリカバッグを2週間かけて自作し、X(旧Twitter)に公開した。
すると驚いたことに、3月の台湾ワンマン公演で彼女と直接話す機会に恵まれた際、「あ、それネットで見た!すごい!」と本人から直接声をかけてもらえたのだ。その一言で、2週間かけて作った苦労が全部報われた。あの日からこの手作りのバッグは、僕にとって胸を張って持ち歩ける大切な宝物になった。
例えば、2025年に開催された弾き語りによる地方の小規模ライブハウスツアーでは、終演後にCD購入者(コレパーク会員対象)を対象としたサイン会を実施。ファン一人ひとりと対面でゆっくり言葉を交わしながらサインを書く時間が設けられた。
そして2026年の台湾ワンマン公演でも、VIPチケット購入者向けに同様のサイン会が行われ、海外のファンとも丁寧に交流する姿が見られた。
2026年:台湾で涙した海外初ワンマン
2026年3月7日、台北・MOONDOG。15年前、小さなハコで数人を前に歌っていた彼女の音楽が国境を越え、現地のファンが日本語で大合唱している光景に、思わず涙がこぼれた海外初ワンマンの夜だった。
昔、物販席でCDを手売りしながらファンと言葉を交わしていた頃と比べれば形は変わった。しかし、「できる限り近い距離でファンと向き合いたい」という彼女の姿勢そのものは、15年経った今も変わっていない。
広く知られる存在となった現在でも、小さなライブハウスに出演を続ける姿からは、原点となった場所や人を大切にしている様子がうかがえる。長く応援し続けてきたファンの名前を覚えてくれていることも嬉しいが、それ以上に、新しく出会ったファンも含め、目の前にいるすべての人を分け隔てなく大切にする温かさが、今も変わらずそこにあるのだ。
ワンマンライブでは今でも必ずこのMCがある。これはおじさんを笑い者にするのではなく、初期から支えてくれたファンへの感謝を込めつつ、新しく足を運んでくれたファンも含めて会場全体を笑顔にするための、彼女ならではの定番MCなのだ。ライブ中も「今日静かやな~」とフロアの空気を絶妙な距離感でいじりながら、笑いと一体感を作り上げていく。
第6部:資料編 ── 歴史を支えた重要人物と全記録
ライブハウスが育てた重要人物たち
コレサワの15年の歩みと、アンダーグラウンドから武道館へと至る表現の軌跡を語る上で、裏方や相棒として彼女を支え続けたキーパーソンたちの存在は欠かせない。ここでは、歴史を形作った3人の重要人物の足跡を整理する。
① ハグてっぺい(渋谷gee-ge. ブッカー)
彼女の才能をいち早く見抜き、東京へと引き上げたのが、gee-ge.の名物ブッカー・ハグてっぺい氏だ。ハグさんは彼女だけでなく、のちに活躍する数々の女性シンガーソングライターたちの初期の才能を見出し、東京のライブハウスシーンへと定着させる上で重要な役割を果たした裏方の一人である。
大阪時代の彼女に当時のTwitterのDMで突然オファーを出し、遠征のきっかけを作ったのも彼だった。ライブハウスは単に演奏する箱ではなく、才能を育てる生きた場所だった。そこには、表舞台には立たないけれど、若い才能を見つけて繋ぎ、育て上げる熱い大人たちが確実に存在していたのだ。

② ひぐちけい(ギタリスト・編曲家・ライブプロデューサー)
東京に出て間もない頃に渋谷gee-ge.で出会って以来、長年にわたりコレサワの音楽的相棒を務めるギタリスト。ライブやフェスでサポートバンドの中心メンバー(バンドマスター)を務めるだけでなく、多くの楽曲で編曲やプロデュース的立ち位置として制作にも関わっている。
『君がおじいちゃんあたしがおばあちゃん』等のアレンジを担当し、近年の『コレシアター05』ではライブプロデューサーも務めるなど、ステージ演出とサウンドの核心を支えている。
まだお互いに名前も売れていない無名の日々、ライブハウスの楽屋や帰り道で音楽の夢を語り合い、時には一緒に苦難を分かち合う。そうしたライブハウス特有の密接なコミュニティの中で育まれた絆こそが、のちのコレサワのバンドサウンドの骨格を形作る決定的な原点となった。

③ ウチボリシンペ(イラストレーター)
彼女のビジュアル面を確立させたクリエイターであり、彼との出会いもまた当時のライブハウスの繋がりから生まれたものだった。
ウチボリ氏が関わっていたライブハウスのイベントで彼の描くイラストを目にしたコレサワが、「可愛い! 私の絵を描いてほしい」と声をかけたことがすべての始まりだった。
その後、「れ子ちゃん」へとつながるキャラクターやビジュアルが形作られていく。メディアでの顔出し回避と「普通の生活」を守るための方法であると同時に、コレサワというブランドの世界観を決定づける存在にもなった。
第4部で詳しく見てきたように、「顔を隠すためのもの」として始まった表現が、やがてコレサワそのものを象徴する「顔」へと変わっていったことは、この15年を考える上でも非常に重要なポイントである。

コレサワと大森靖子 ── 憧れと表現
コレサワの表現を考えるうえで、外せない存在の一人が大森靖子だ。
YUIがコレサワにギターを持たせ、弾き語りを始めるきっかけになった「音楽の原点」だとすれば、大森靖子は、音楽活動を始めた後のコレサワが「自分はどう歌うのか」「自分の声をどう表現するのか」を考える上で刺激を受けた存在と言える。
2015年のインタビューでコレサワは、大森靖子の「ボーカルも楽器」という考え方に刺激を受け、自分の声の中から“エフェクター”を探すように、ワガママに聴こえる声や歌い方を研究したと語っている。これは単なる「好きなアーティスト」という関係を越え、実際の表現方法に影響したことを示す重要な証言だ。
また二人には、Hummingbirdという興味深い共通点もある。コレサワは2012年製と推定されるHummingbirdを現在まで大切に使い続けている。一方、大森靖子もHummingbirdを愛用してきた。ただし、コレサワが大森靖子の影響でHummingbirdを選んだという本人の証言は確認できていないため、そこは史実として断定せず、15年史に残る小さな「謎」として扱いたい。
二人の音楽は同じではない。それでも、自分の好きなものや感情を、自分自身のルールで表現するという姿勢には、確かな共通点がある。
この関係を、YUIやヒグチアイとの違いまで含めて詳しく考察したのが、別ページの「コレサワと女性シンガーソングライター」だ。
▶ コレサワと女性シンガーソングライター ── 大森靖子との関係を含む詳細な考察はこちら
2025年9月16日。ついに彼女は、日本武道館のステージに立った。
客席に僕一人しかいなかった深夜のイベントから(※詳細は第2部参照)、満員の武道館で無数のペンライトの光に包まれるステージへ。その光景を見たとき、不思議と驚きはなく、「ああ、ここまで来たんだ」という静かな納得しかなかった。
2011年9月26日。
あの日の渋谷gee-ge.で、15年後のこの景色を具体的に想像していた人は多くなかっただろう。
僕も、その一人だった。
本稿はライブ参加記録、特別な機会に撮影した写真・動画、本人インタビュー、雑誌記事、各種資料をもとに構成しています。
この物語はコレサワ一人の物語ではない。地下のライブハウスで夢を追い続けた無数の表現者と、それを支えた観客たちの物語でもある。
あの頃、ライブハウスで出会った多くの仲間たちは、それぞれ違う場所へ歩いていった。それでもライブハウスの灯りが消えない限り、またどこかで新しい物語は始まっている。
今日もどこかのライブハウスでは、新しい物語が始まっている。
僕もまた、その客席で見届け続けたい。
この記録が、未来の誰かにとって、2010年代ライブハウス文化を知るための小さな歴史資料となれば、これほど嬉しいことはない。
完全網羅:ライブハウスから見たコレサワ15年の全記録
以下は、客席から見守り続けてきた全ライブ履歴と、彼女の歩みにおける「歴史的転換点(※印)」を統合した完全版年表である。
| 日付 | 会場 | 公演・出来事 | 備考・Junzyとの関係 |
|---|---|---|---|
| 2011年09月26日 | 渋谷gee-ge. | 鉄ロックフェスティバル!!! vol.66 | ※Junzy初参戦 |
| 2011年11月30日 | SEED SHIP | SEED Of SONGS | – |
| 2012年01月29日 | 渋谷gee-ge | メロディーキッチンツアー『歌う魚』 | – |
| 2012年02月10日 | 渋谷SONGLINES | フリージアとショコラ | – |
| 2012年06月05日 | ストロボカフェ(北参道) | – | – |
| 2012年08月12日 | 渋谷Milkyway | – | – |
| 2012年08月18日 | QVCマリンフィールド&幕張メッセ | SUMMER SONIC 2012 | – |
| 2012年09月07日 | 北参道ストロボカフェ | – | – |
| 2012年11月22日 | 文化放送サテライト | サテライトプラスLIVE! | – |
| 2013年02月08日 | 渋谷 gee-ge | フリージアとショコラ 2013 | ※『笑えよ乙女』リリース日 |
| 2013年03月17日 | 渋谷La.mama | 音楽夢中ステーション | – |
| 2013年05月16日 | 渋谷gee-ge | お誕生日会 | ★初ワンマン |
| 2013年6月9日 | 渋谷gee-ge | 藤ロックフェスVol.2 | – |
| 2013年07月24日 | 渋谷gee-ge | 平成デモクラシープレイベVol.1 | – |
| 2013年07月25日 | 渋谷Milkyway | ともだちがほしかったかいじゅうとくらげ | – |
| 2013年08月01日 | 下北沢440 | じぱんぐ「哀愁べすと」発売&レコ発 | – |
| 2013年08月20日 | 下北沢SEEDSHIP | コレサワ企画 vol.1 | – |
| 2013年12月26日 | 新宿LOFT | 平成デモクラシー2013 | – |
| 2014年01月26日 | 渋谷La.mama | コレサワ/小玉しのぶ/Nene | – |
| 2014年05月06日 | 渋谷Milkyway | みつばちフェス 2014 in TOKYO | – |
| 2014年05月18日 | 下北沢サーカス | 音でツナガル臼田のWA!vol.13 | – |
| 2014年05月20日 | 渋谷eggman | コレサワ/井上苑子/東木瞳/mimic/ | – |
| 2014年08月28日 | 真昼の月夜の太陽 | Ruca presents | – |
| 2014年11月01日 | 渋谷Star lounge | コレサワワンマンショー | – |
| 2014年12月29日 | 渋谷eggman | Girl’s UP!!! | – |
| 2015年03月05日 | 渋谷PLUG | コレサワ 3ヶ月連続自主企画 | – |
| 2015年05月09日 | タワレコ渋谷1F イベントスペース | 『君のバンド』発売記念インストアイベント!! | – |
| 2015年11月25日 | 下北沢LIVEHOLIC | LIVEHOLIC presentsノスタルジック流星群 | – |
| 2015年12月20日 | タワレコ横浜ビブレ店B1Fイベントスペース | 女子、ジョーキョー。 | – |
| 2016年01月09日 | タワーレコード渋谷店 1Fイベントスペース | 女子、ジョーキョー。 | – |
| 2016年02月18日 | 渋谷www | 上京女子がゆくバンドツアー ファイナル | – |
| 2016年04月03日 | 渋谷CHELSEA HOTEL | nana×Skream! presents | – |
| 2016年05月18日 | 新宿レッドクロス | 奇天烈大発火!! | – |
| 2016年10月29日 | 渋谷 StarLounge | J-POPしか歌えないっツアー 仲間編 | – |
| 2016年12月24日 | 横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール | 毎日がクリスマス | – |
| 2016年12月28日 | 下北沢BASEMENT BAR | Beat Happening!1700回記念PANIC! | ※あいみょん等と共演 |
| 2017年02月05日 | 渋谷WWW X | コレサワ ワンマンショー | – |
| 2017年03月12日 | 池袋Hoteyes | 里咲りさ×コレサワ | – |
| 2017年04月29日 | 渋谷宇田川町界隈11会場( | HUG ROCK FESTIVAL | – |
| 2017年06月01日 | 渋谷Star lounge | お祝いさせてあげまショー | – |
| 2017年06月27日 | 下北沢LIVEHOLIC | LIVEHOLIC 2nd Anniversary | – |
| 2017年08月09日 | – | 1stフルアルバム『コレカラー』リリース。ここから全国区のステージへ。 | ★メジャーデビュー |
| 2017年10月09日 | 渋谷宇田川町12会場 | HUG ROCK FESTIVAL: 2017 体育の日 | – |
| 2017年11月03日 | 新潟ブルーカフェ | コレサワ ワンマンツアー 2017 | – |
| 2018年02月25日 | 佐野市役所周辺 | さのまるの日イヘント | – |
| 2018年05月12日 | 恵比寿LIQUIDROOM | コレサワワンマンショー | – |
| 2018年09月20日 | タワーレコード新宿店 | 2nd Album | – |
| 2018年10月27日 | 高崎SLOW TIME cafe | コレサワ ワンマンツアー2018 | – |
| 2018年12月23日 | 赤坂BLITZ | コレサワ ワンマンツアー2018 | – |
| 2018年12月30日 | 渋谷CLUB QUATTRO | LIVE DI:GA JUDGEMENT2018 | – |
| 2019年03月16日 | 新潟 ジョイアミーア | コレサワ ワンマンツアー2019 | – |
| 2023年08月06日 | HEAVEN’S ROCK Utsunomiya | LIVE TOUR 2023らぶ、出張ツアー | – |
| 2023年08月09日 | 渋谷duo music exchange | LIVE TOUR 2023らぶ、出張ツアー | – |
| 2023年09月18日 | 渋谷エリア | TOKYO CALLING 2023 | – |
| 2023年12月05日 | Spotify O-WEST | コレサワ LIVE 2023 | – |
| 2024年02月07日 | 調布市グリーンホール | 東京工学院専門学校 | – |
| 2024年03月16日 | 渋谷eggman | コレサワ LIVE 2024 | – |
| 2024年04月23日 | 渋谷CLUB QUATTRO | Q.I.S. presents | – |
| 2024年07月15日 | 山形Session | LIVE TOUR 2024 日々会々 | – |
| 2024年08月09日 | Zepp Shinjuku | LIVE TOUR 2024 日々会々 | – |
| 2024年08月23日 | Zepp Shinjuku | LIVE TOUR 2024 日々会々々 | – |
| 2024年11月05日 | Spotify O-EAST | 第21回東京国際ミュージック・マーケット | – |
| 2024年12月11日 | 日本テレビ麹町 | 番組収録 | – |
| 2024年12月15日 | 東京国際フォーラム ホールC | コレサワ ワンマンショー 2024 | – |
| 2024年12月19日 | 昭和女子大学人見記念講堂 | コレサワ ワンマンショー 2024 | – |
| 2024年12月30日 | – | 超ときめき♡宣伝部への提供曲『最上級にかわいいの!』にて、第66回 輝く!日本レコード大賞「作詩賞」を受賞。 | ※【歴史的偉業】 |
| 2025年02月23日 | Spotify O-WEST | コレサワ LIVE 2025 きみとデート Vol.2 | – |
| 2025年03月19日 | 青山BAROOM | あたしを選んだ君とあたしを選ばなかった君へ | – |
| 2025年05月25日 | 佐賀GEILS | コレサワ LIVE TOUR 2025 | – |
| 2025年06月28日 | 新潟ゴールデンピックスRED | コレサワ LIVE TOUR 2025 | – |
| 2025年07月30日 | 昭和女子大学人見記念講堂 | コレサワ LIVE TOUR 2025 | – |
| 2025年08月03日 | 昭和女子大学人見記念講堂 | コレサワ LIVE TOUR 2025 | – |
| 2025年09月16日 | 日本武道館 | コレサワ LIVE TOUR 2025 | ※【歴史的転換点】 ★日本武道館 |
| 2025年11月09日 | 福岡DRUM LOGOS | コレサワ LIVE TOUR 2025 | – |
| 2025年11月30日 | Billboard Live横浜 | Play Like Kids♡ 1st Stage | – |
| 2025年11月30日 | Billboard Live横浜 | Play Like Kids♡ 1st Stage | – |
| 2025年12月31日 | shibuya gee-ge. | 樋口家の年越し 2025-2026 | – |
| 2026年01月24日 | Zepp Sapporo | コレサワ Zepp LIVE 2026 | – |
| 2026年03月07日 | 台湾台北 | 微風廣場Breeze MEGA Studio | ※【歴史的転換点】 ★台湾初ワンマン |
| 2026年04月28日 | EXシアター六本木 | リコメンズジャンクション 2nd. | – |
| 2026年05月16日 | 東京海の森公園 | METROCK 2026 | – |
| 2026年06月16日 | LINE CUBE SHIBUYA | コレサワ LIVE 2026 | – |
| 2026年07月10日 | 横浜赤レンガホール | 毎日が夏祭り 2026 | – |
| 2026年09月19日 | 三郷市文化会館大ホール | コレサワ HALL TOUR 2026 | – |
| 2026年10月17日 | 高崎芸術劇場 大劇場 | コレサワ HALL TOUR 2026 | – |
| 2026年11月03日 | 東京国際フォーラムA | コレサワ HALL TOUR 2026 | – |
| 2026年12月19日 | 沖縄コンベンションセンター劇場 | コレサワ HALL TOUR 2026 | – |
| 2015年頃 | – | 女性限定無料ライブ「シティーガールの休日」開催。 | ※【歴史的転換点】女性ファン急増のきっかけに。 |
| 2019年4月〜2022年3月 | – | Junzy自身の病気療養とコロナ禍により、現地参加記録が途切れている期間(コレサワ本人の活動休止ではありません)。 | ※【Junzy側の休止期間】 |
| 2019年 | – | みゆはんへ『恋人失格』を楽曲提供。作詞家としての評価を高める。 | ※【歴史的転換点】 |
- 本人インタビュー(音楽ナタリー、Skream!、リアルサウンド各号)
- コレサワオフィシャルサイト・各種リリース情報
- ライブ参加記録(2011年〜2026年現地観覧データ)
- 特別な機会に撮影した写真・動画(Beat Happening!終演後、インディーズ期ハンドタオル等)
- 雑誌記事・SNS公式発信・各公演セットリスト等
















